俺はグレッチを叩き壊した。

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うちにあった唯一のグレッチ、G6120。それが先日オシャカになった。

ちなみに壊したのは私ではない。私以外の者の手によって、人為的に破壊された。原因とか誰が悪いのかとか、もはやあまりにも辛く語りたくは無い。とにかく壊したのは私ではない。

が、私は怒り狂って、グレッチにとどめを刺した。すでにネックがへし折れ、風前の灯となっていたグレッチ。それを叩きつけ、完全に破壊した。

そして呆然とした状態で、散らかったグレッチの破片を始末した。

粉々にしなければ、20万円くらいかければ直ったかもしれないし、ジャンク品としての需要もあったかもしれない。

しかし私は、完全に破壊する道を選んだ。グレッチを破壊されたというやり場のない怒りは、グレッチにぶつけるしかなかったのだ。こうしてグレッチは死に、物言わぬ木になった。

しかし私は転んでもタダでは起きぬ。使えるパーツは分解して売却し、何とか数万円程度回収する事には成功した。そうして記事として公開し、アーカイブする道を選んだ。

しかしこの出来事について気持ちの整理がついておらず、大っぴらに公開する気にはなれない。だからブログの底に沈めておく事にする。

楽器を失うという事には、大きなダメージが伴う。ランディ・バックマンが昔盗まれたグレッチが日本で見つかったという記事があった。ランディ・バックマンはグレッチを盗まれた当時、気が狂いそうだったと言っている。体の一部を失ったようだと。彼はグレッチを失った悲しみからグレッチを片っ端から買い集めるようになり、結局385本ものグレッチを買ったという。この気持ちはよく分かる。ギターを失った悲しみは、他のどんな良い物を買ったとしても癒されない。全く同じ物を取り戻す事でしか満たされないのである。

私は何もかもが嫌になり、身の回りの物を処分し始めた。釣具は全て友人に譲渡し、不要な服や本も処分した。PCを新調する予定だったが、それもやめた。部屋はがらんどうの状態だ。

そんな私の様子は明らかにおかしかったらしく、友人に心配された。そりゃそうだ、多趣味で物欲の塊だった男が全てを捨て始めたのだ。何か疑われて当然である。正直、自分の状態が分からない。いつか気分は晴れるのか?治療が必要なのか?それも全く分からない。

本当に心に穴が開いたような、体の一部を失った気分だ。

もう、良いギターを買って練習に明け暮れようなんて全く思えない。だって私がギターを持つと、第三者に破壊されてしまうのだから。私が壊さないとも限らない。

そういえば最近は、何も上手くいったためしが無い。家庭。仕事。友人。何かを得た覚えがなく、失ってばかりだ。

憧れのグレッチ。なけなしの金で買ったグレッチ。

私の手元にあった期間はわずか数年、ステージで日の目を見る事もなかった。家でちょっと触る程度だ。でもそれで良かった。

手元に置いておくだけで嬉しかったし、そこにあるだけで私を楽しませてくれた。

しかしそれはもう、無い。

私はパーツの残骸を売りに出す時、ジャンクになった理由を正直に申告していた。すると破壊した原因に興味を持つ人や、私を励ます人が沢山居た。同じギターを弾く者として、同情せずには居られなかったのだろう。

そんな小さな声が、本当に有難かった。ちょっとだけ自分の辛さを吸い取ってくれた。

私は今後、どのように振る舞うべきだろうか。新たにグレッチを買うことは、出来る。しかし家にはそれを破壊する奴が居る。

諦めてたまるか。ギターは俺に残された最後の趣味だ。下手でもいい。人前で演奏しなくても良い。ただ自分の中で、そっと大切にできれば良い。

俺は俺の為に金を稼ぐし、俺の為に金を使う。そして買ったモノに金を稼がせる。買う事でマネタイズ出来る準備は出来ている。

グレッチなんて何本買おうが、何本壊されようが、決して倒れない強い自分になる。

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