ギターグレッチ音楽評

グレッチとギブソンと、チェット・アトキンスのチェットややこしい関係

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グレッチとチェット・アトキンスには、非常に深い関係があります。

なんせ、有名なグレッチのギターは、そのほとんどがチェットのシグネイチャーモデルだからです。

時は1950年代、ギブソンはレス・ポール氏とのシグネイチャー契約で大成功を収めていました。そう、ご存じの通り”レスポール”というのは同氏のシグネイチャーモデルですね。

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グレッチもその手法を真似て、“Mr.ギター”の異名をとるチェット・アトキンスとのシグネイチャー契約を結びました。

その目論見は大成功、1950~1960年にかけて、グレッチは最盛期を迎えます。

しかしグレッチはその後ソリッド・ボディのエレキギター流行の波に乗り切れず、落ち目になってしまいます。

ボールドウィン社による買収、工場の火災などを経て品質は大幅に低下しました。出すモデルはどんどん迷走し、ついにはギターの生産を完全に停止。チェットはグレッチに愛想を尽かしてギブソンに移籍してしまいます。

ですからギブソンからもテネシアンやカントリー・ジェントルマンなど、グレッチ時代と同名のモデルが発売され、知らない人にはややこしい事態になっているのです。

そんなわけで、グレッチはチェット・アトキンスの名前や関連するモデル名称を使用できなくなり、変更を余儀なくされました。テネシアンからテネシーローズに変わったのが最も有名かと思います。

グレッチが日本製として復活してからも、暫くはピックガードに「チェット・アトキンス」のシグネイチャーはありませんでした。代わりにナッシュビルといった愛称や、ブランドロゴだけの表記に切り替わっていますね。

チェット・アトキンスの名をグレッチが再度名乗るための手続きがなされたのは、2007年頃です。

グレッチのマーケティング担当マイク・ルイスが2007年にチェット・アトキンスの名前をグレッチに“戻す”ことを監督し、「Tennessean」は除くものの、元のモデル名を再導入したと説明されています。

テネシアンの名が戻らなかったことについては、ギブソンがその権利を有していたことが無関係ではないでしょう。

Catalogs and Brochures
Download the Gretsch catalogs and brochures of past and present.

そのあたり、2007年の英語カタログにて説明されています。

Just a moment...

またreverbの記事にも詳細が掲載されていますね。

そして2024年、ついに正式にテネシアンの名前がグレッチに戻りました!(補足すると、たまに限定品としてテネシアンという名で売られていたこともあります)

しかし大々的に宣伝されることはなく、ステルス仕様変更に止まりました。

何故そんな大事なことをコッソリやったんだ?という疑問は残りますが、グレッチらしいやり方だったと言えるでしょう。

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