ただし残念ながら、3枚目までだ。でもその3枚が桁違い。それが相対性理論。
何せ3枚目までの25曲、その全てが神懸かり的だ。
人生で一番聴いたのは相対性理論かもしれない。何せCDで聴くし、カーオーディオで聴くし、Apple Musicでも聴く。カーオーディオに取り込んでからは、運転中は常に聴く生活を数年続けている。
何で3枚目までと断言するのか。それはもちろん真部脩一の存在だ。私は彼の脱退後である4枚目を長らく聴くことができなかった。「期待はずれ」に終わってしまうのが恐ろしかったからだ。そして聴いた。期待はずれだった。
本当はこんな事は言いたくないし、できれば4枚目以降も聴いていたかった。しかし求めるものはそこに無く、とても色褪せて見えた。
誰が相対性理論だったのか
真部脩一は間違いなく相対性理論のブレーンだった。誰かがそう言ったわけではないが、みんないつの間にかそのような認識を共有している。
相対性理論は殆どの楽曲をメンバー全員で作詞・作曲していると永井聖一が明言している。その一方で真部脩一は、他のメンバーが曲を書けなかったから自分が書いたとも言っている。
真部:当時僕も就職活動をしていたんですけど、すでにバンドが日常になっていたので、急になくなってしまったことが寂しくて。それで、就職をしても週末に遊びでバンドがやりたいなと思い、身近な人を集めて作ったのが相対性理論でした。で、曲を書ける人がメンバーの中にいなかったので、「よし、じゃあ俺が書こう」と。ベースを弾くことにしたのも、集めたメンバーの中にベーシストがいなかったからという理由だけなんです。
https://www.cinra.net/article/column-otoheya-vol25-1-php
―相対性理論の楽曲の多くは真部さんの作詞作曲と記載されてますよね?
永井:あれも本当に大きな間違いで、実際はほとんどの作詞・作曲を4人全員で行っています。バンド然としてるって言うとおかしいけど、いいものを作る、対象をよくするためのプロセスが必要なので、メンバー全員であれこれ言いながら作ってて。クレジットには間違いが多いので、JASRAC含め、正しい情報への訂正を出しているところです。1枚目の『シフォン主義』とかはホントに遊びで作ったデモで、作詞作曲者などの表記も間違ったまま、それをそのまま流通させちゃったっていう…。こんなに話が大きくなると思ってなかったので。
https://www.cinra.net/article/interview-2010-03-17-000000-php
両者の意見は対立している。しかし真部脩一脱退後の4枚目の結果を見ると、真部脩一がキーマンであったと考えざるを得ない。
おそらく真部脩一が先導して作ったのは事実だろう。そしてメンバー全員で作り上げて行ったのも事実だ。
しかし、真部脩一抜きで相対性理論が自我を保つ事など不可能だったのだ。
相対性理論を離脱した真部脩一と西浦謙助が結成した「集団行動」を聴けば分かる。集団行動の方が元来の相対性理論テイストが強いのである。
完全に憶測であるが、「この曲を作ったのは俺だ」「いや皆で平等に作り上げたんだ」という軋轢があったんじゃないかとも思える。
真部とやくしまる
やくしまるえつこの声は魔性だ。調子はずれで、それこそお人形さんが喋り出したかのようなファンシーさ、滑稽さに人々は惑わされた。余談だがうちの母は「これが初音ミク?」と盛大な勘違いをした。
真部脩一の歌詞はぶっ飛んでいる。何故こんな夢みがちな少女のような歌詞が書けるんだ。
チープな言葉遊び。しょうもないダジャレ。詩的、あるいは意味不明。
私の友人にCDを貸したところ、甚く気に入ったようだった。そして案の定、やくしまるえつこが全て作詞していると勘違いしていた。そりゃそうだ。あんな少女のような声と歌詞だ。誰だってボーカルの女性が作詞していると思うだろう。
真部脩一っていう人が作詞しているんだよと教えてあげたところ、ショックを受けていた。
「あの歌詞はやくしまるえつこの世界観じゃないんですか!?」
彼が気に入った可愛らしい歌詞は成人男性が書いたものだったのだ。勝手に決めつけて勝手に幻滅する。なんという身勝手だろうか。
真部脩一の脱退理由については明言されていないが、「勝手にクールジャパン枠に入れられたことへの違和感」や「自分がやりたい事とはかけ離れてしまった事」を語ってはいる。まあ色々あったのだろう。
作詞・作曲は誰なのか調べた
著作者を調べるため、私はJASRACのシステムで検索してみた。当初、シフォン主義の作詞作曲は全て真部脩一で登録されていた。しかし厳密にはそうではないからJASRACに修正内容を提出したと永井が語っている。
これはシフォン主義のスマトラ警備隊の著作者情報だ。シフォン主義の全曲が作詞・作曲共にメンバー全員の名前がクレジットされている。
ここから先は完全に私の妄想なので真に受けないで欲しいが、おそらく1stは真部脩一の主導で制作したのだと思う。
その時著作者の情報を全て真部脩一で登録して、当初は誰も異を唱えなかったのだろう。しかしバンドが売れてくると話は別だ。権利関係が全て真部脩一に集約されるのは不公平だという話になったのかもしれない。だからシフォン主義に関しては平等に、メンバー全員の著作とした。
2ndのハイファイ新書は作詞・作曲共に概ね真部脩一となっているが、学級崩壊とバーモント・キスの作詞はティカ・α(やくしまるえつこ)と真部脩一の連名になっている。
3rdのシンクロニシティーンはもっと顕著で、(恋は)百年戦争の作詞・作曲は永井聖一だ。その他にも永井がメインで作ったであろう楽曲があり、著作者は様々だ。どれが誰の曲なのかを明確に分けているように見える。
もちろん私はこの時点の曲は誰の曲であろうと大好きだ。永井の曲が嫌いとか、真部の曲だけが好きという事は全く無い。
「人工衛星(作詞:永井聖一、ティカ・α(やくしまるえつこ)、作曲:永井聖一)」と「(恋は)百年戦争(作詞:永井聖一、作曲:永井聖一)」はマスターピースだ。
何があったのかは知る由もない
「想定外に売れた」バンドは、金や権利を理由に解散することがある。或いはもっとセンセーショナルなバンド内部での力関係とか、男女の事であるとか。もちろん表向きには「音楽性の違い」のためだ。バンド活動は、趣味とビジネスの境界が曖昧だ。だからメンバー内部で不和が生じることはよくある。
私の周りなんて、完全趣味のド素人バンドですら軋轢ばかりだ。ライブ日程だの、出演料だの、練習が面倒だの。些細な事でケンカばかりしている。もちろん本質的には仲良しだし、絶縁する程では無いのだが。
結局バンドの解散や脱退理由なんて、こちらからすれば本当の理由は知る由もない。
しかし私にとっては紛れもなくやくしまるえつこ、真部脩一、永井聖一、西浦謙助の4人で相対性理論だった。
とかく、相対性理論は超音速で着弾し、全てを置き去りにして飛散した。
すごいアルバムが3枚もある。その25曲全てが名曲だ。これ以上は望むべくもないかもしれない。
それでも、やくしまるえつこと真部が並ぶ事。永井と西浦が揃う事。そんな日を夢見ている。
コメント
古参が苦しむ現象の典型。初期が良かっただの、何枚目までがよかっただの。明確な言語化ができず、「期待はずれ」「求めていなものでない」「〜テイスト」だの。
メンバーが変わらずとも音楽性が大きく変化するバンドもある、私の場合Official髭男dismだが、彼らがが大きく有名になって(なおかつ結婚して)からの攻めた音楽性にギャップを感じて置き去りにされてしまった。
古参勢ができることはせいぜい「何枚目」までを鬼リピして、コンポーザーが誰だったの、誰の影響を受けてたのを調べながら思い出に縛られ続けるだけである。つらい。
大事なことははいろんな音楽の形を愛して、認めてあげること。
すみません、私は現在の相対性理論もやくしまるえつこも真部脩一もanoも全て聴いており、別に苦しんでいるわけではないのであなたとは全然違います。
しかし残念ながら、この記事はチェンソーマンのエンディングをきっかけに妙に伸びてしまいました。
想定外の人気が出る事により、新参が何故か偉そうに講釈を垂れるという「バンドあるある」がこの記事で発生してしまったというのはなかなか皮肉の効いた話ですね。
自分も近い感情を持ってたので詳しく説明してくださってありがたいです。
昔の曲から新しくなるにつれて歌詞の取り留めのなさはそのままですが曲調としては真部さんの勢いではなく、やくしまるえつこの知的な内面をベースにしてるところがずっと引っかかっていたのでそれを相対性理論の歴史とともに解説してくださりとても勉強になりました。
懐古厨、害悪古参と言われてもシフォン主義の5曲で心を掴まれたので後期の相対性理論がなんか違うというのはよくある話なのかなと思ってしまいました。
長文失礼いたします。