音楽の聴き方には流行がある。現代は音楽配信サービスをワイヤレスイヤホンで聴くというのが主流であろう。
これは単なる私の思い出話、そして人伝に聞いた話のリミックス。
ラジカセが出た当初は、それを嬉しそうに持ち歩く人が大勢居た。それもコンパクトなものでなく、肩に担いで丁度良いくらいのでかいやつだ。もちろん私はそんな年齢ではないので直接見たわけではないが、ちょっと古い映画でもそのようなシーンが確認できる。現代に置き換えると、スタバでmacbookやiPadを広げている人も本質的には同じであろう。新製品に飛びつき、それで全能感を得て、見せびらかすように持ち歩く人というのはいつの時代も一定数存在する。
ラジカセが少々コンパクト化すると、メーカーも持ち運びを意識した広告を打っていた。ラジカセを手に持った女の人が、屋外で微笑んでいるような。1960年台とか70年台でさえそうだったわけで、音楽を外に持ち出して聞くことへの憧れは50年以上も前からあったのである。
私の時代は再生機の移り変わりが激しく、常に過渡期にあった。カセット→CD→MD→デジタルオーディオプレーヤー(DAP)→iPod→iPhoneといった形で目まぐるしく変化していた。昔ポータブルプレーヤーは便宜上全てウォークマンと呼ばれる事が多かった。ゲームが全てファミコンと呼ばれていたように。
私が中学生の頃はMD全盛期。MDで聞くためにはCDからダビングする必要があったから、誰もがMDコンポを持っていたという時代だ。そして割と頻繁に買い替える。お年玉の使い道の一つにMDコンポがあったくらいだ。だから当時の中高生は今の人よりもむしろ贅沢な再生環境を持っていたと言える。サブスクもワイヤレスイヤホンも無い時代だが、アンプとスピーカーのサイズはデカかった。うちにあったのはaiwaの古いフルコンポで、音は良かったがMDダビングが等倍だ。だからダビングしながら聴くのがレンタルショップ帰りのルーチンワークだった。が、MDは一瞬で廃れる。手元に大量にあったMD達は進学と同時に処分する事となった。どうせダビングしたものでありオリジナル音源ではないから大した価値は無いのである。
同時期に耳掛けヘッドホンが流行したが、こちらも短命に終わる。耳掛けヘッドホンは不合理の塊で、耳は痛く、音は悪く、音漏れするという最低の製品だった。私も持っていたが、正直言って何でこんなものが流行ったのかが分からない。普通のイヤホンで十分だ。
MDが廃れる頃、各社がこぞってDAPをリリースする。MP3プレーヤーという呼び方もあった。ゲームボーイアドバンスにもMP3プレーヤーの「プレイやん」という製品があったくらいだ。そのように商品が豊富であったため派閥は割れており、私が使っていたのはRio Uniteとか、東芝ギガビートとか、ガラケー(P902i、押すと開く懐かしいやつ)のSDオーディオとか。私の使っていたRio Uniteは板ガムくらいのサイズで容量は僅か2GBしか無かったが、それでも当時としては高水準だ。当時はフラッシュメモリの値段が高く、DAPが全体的に容量の割に高かったのだ。今では信じられないだろうがライブラリを全て持ち歩くという概念は無く、聴きたい曲を都度入れ替えて運用するといった形がメインだ。色々試した結果、私のメインはガラケーのSDオーディオに落ち着いた。DAPを買うよりもSDカード単体で買った方が安上がりで大容量だったからだ。ちなみに当時のガラケーに実装されていたのはminiSD。時代を感じる。亜種としてPSPという派閥も存在したが、少数のゲームオタクが使っていただけで一般層には浸透しなかった。今思えばPSPはポータブルオーディオとしてそこそこ優秀だったと思う。スピーカーが付いていたし。その頃は新製品が次々とリリースされて楽しかったが、ほぼ全てのDAPがiPodに駆逐された。iPod一強時代の到来だ。大学生になった私もアルバイトしてiPodを買ったし、バンドサークルのメンバーはほぼ全員がiPodを持っていた。
iPodのすごい所は、付属品の純正イヤホンを白にした事だ。当時のイヤホンといえば黒ばかりだったので白い色は目を引き、それを挿しているだけでiPodユーザーだと判別できたのである。海外では、白いイヤホンを挿しているとiPod強盗に遭うという事例が相次いだ程だ。日本ではそこまで極端な例は無かったが、白いイヤホンを羨ましがられる事はあった。Appleはこのようにして、付属品のチープなイヤホンでさえもブランドの象徴とする事に成功したのである。
iPodが勝利した背景には、前述の容量問題もある。初代iPodの容量は5GBだったが当時存在していたDAPの中で群を抜いており、1000曲も入るという事が謳われていた。因みに当時の人はビットレートやファイル容量に対する理解が浅かったため「〜〜曲入る!」という宣伝文句が多く私はウンザリしていた。現在Apple Musicで配信されている曲数は9000万曲だから少なく感じると思うが、当時の水準で1000曲というと自分の持っているCDが全て入る容量だ。何せ「全ての音楽を持ち歩こう」と宣伝できたのはiPodぐらいのもので、1000曲というのは信じられないほどの大容量だったのである。後発のiPod miniはマイクロドライブ単体で買うよりも安かったため、iPod miniのマイクロドライブを抜いて転売する者さえ居た。iPodは高級品だったが、一貫して容量の割には安かったのである。またAppleはハードウェアだけでなく、iTunesで音楽配信のプラットフォームごと支配することに成功した。
このようにしてAppleはブランディング・大容量・音楽配信がシナジーを起こし勝利を収めたが、個人的にはiTunesとiPodの著作権保護がユルユルだった事も大きいと思っている。要は他人のiPodから音楽ファイルをパソコン経由でぶっこ抜いて、自分のiPodへ入れることがごく簡単にできたのである。しかもiPodは大容量だから、友人間で音楽を共有して自分のライブラリを肥やすことができた。
今ではiPodの役割そのものがiPhoneに吸収されたが、相変わらず大容量だ。iPhoneのストレージ容量は最大1TBもあるが、android機はmicro SDを使用するためか本体のストレージ容量は控えめとなっている。
業界の潮流が音楽配信に突き進んでいた一方で、日本のレコード会社はCDの売り上げに固執していた。 CDの売り上げ低迷は違法コピーにあると考え、CDのコピー対策に躍起になって迷走していたのである。が、コピーコントロールCDは問題だらけだったため一瞬で廃れた。CDに握手券や投票券を付けて、同じCDを何枚も買わせるように仕向けた。不要になったCDは大量に廃棄された。音楽配信サービスにしてもLISMOとか着うたフルとかの超ガラパゴス仕様に拘り、10代の私でさえ日本の音楽業界はもうダメなんだと感じていた。日本がやるべきはCDのコピー対策ではなく、次世代音楽配信への転換だったのである。
あまり知られていないが、AppleにはiTunes Matchというサービスがある。これはApple Musicとは異なりクラウドライブラリが使用できるようになるだけのサービスだが、実はとんでもない秘密がある。それは不正に入手した低ビットレートの音源を、ストアにある256kbpsのクリーンな音源に置き換えることができるというものだ。幾許かのお金を払えば違法音源を公式音源にロンダリングできるという寛容政策で、海賊版ユーザーにお金を払わせることに成功したのである。そうしてAppleの製品やサービスで囲い込んでアーティストに還元すれば大黒だ。
損して得取れというのは私の好きな諺だが、Appleが実践してきたのはまさしくそういう事だと思う。コピー対策に躍起になり、ユーザーに不自由を強いてきた日本の音楽業界とは対照的だ。
優秀な経営者というのは、未来を見通す慧眼を持っている。もちろんスティーブ・ジョブズがそうだ。彼には誰もがスマートデバイスを持ち歩き、どこでも自由に音楽が聴ける未来が見えていたのだろう。
ソニーの大賀典雄は、CDの生みの親だ。CDが登場した時にはレコード原理主義者から批判されたが、伸び悩んでいたレコードに取って代わった。スティーブ・ジョブズはそんなソニーを目標としていたが、完全に食ってしまった。ソニーを買収する計画もあったそうだが、高すぎて断念したそうだ。いっそ買収されていた方が日本にとっては良かったかもしれない。
そして現代。スマートフォンの台頭、サブスクリプションサービスの登場、YouTubeの時代だ。無線通信規格とバッテリー技術の進歩により、ワイヤレスイヤホンも普及した。何せダイソーでも売られているくらいだ。残念ながら、そこに日本の製品やサービスは見る影も無い。唯一存在感があるのは、ソニーのウォークマンだろうか。ソニーは音楽特化のハイエンド路線に舵を切った。結局、生き残ったのは新しい事に挑戦してきた者たちだ。音楽とか、自動車とか、家電製品とか。日本は挑戦を恐れて変化を拒んだことで、全てにおいて遅れをとった。
今と昔、どちらが良いか。私は絶対に今の方が良いと思う。それはサブスクがあるからだ。CDを買うか借りるかするしか無かった時代よりも、定額を支払って無限の音楽にダイブ出来る今の方が楽しい。もちろんCDやレコードを買う事もあるが、それは好きで集めているだけだ。
10年後の音楽はどうなっているだろうか。VRでライブハウスに行けたらどうだろう。会場の熱気を、VRで体験できたら素晴らしいじゃないか。
あるいはスマートデバイスを必要とせず、それこそ脳に直接音楽が届いているかもしれない。
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