グレッチの歴史は一言で言って不遇、不遇。しくじりの連続であり、老舗でありながらもその歴史は多難なものです。創始者の夭折、経営不振、買収、火災の挙句に製造中止。ギリギリのところで生き残っており、極めて浮き沈みが激しいメーカーです。そんなグレッチの社史を、私の知る範囲でまとめようと思います。
- 1883年、創業。
- 1895年、創始者の死去とシニアの引き継ぎ。
- 1905年、ジュニアの誕生。
- 1942年、シニアの引退。戦争の影響を受ける。
- 1946年、生産再開。
- 1948年、ビル・グレッチの死去。
- 1952年、グレッチ・シニアの死去。
- 1955年、シグネチャーモデルのリリース。
- 1957年、フィルタートロンの発表とカントリージェントルマンの発売。
- 1958年、アニバーサリー、テネシアンの発売。
- 1967年、ボールドウィン社へ売却。
- 1973年、火災発生。
- 1980年、生産中止。
- 1985年、会社がグレッチ一族の手に戻る。
- 1989年、神田商会と代理店契約。
- 2002年、フェンダー傘下へ。
- 2003年、品質アップ。
- 2021年、フェンダー直営へ。
- まとめ
1883年、創業。
グレッチ創業。ドイツからアメリカに移住したフレデリック・グレッチがニューヨークのブルックリンに楽器店を開いたのが始まりであった。当初の取り扱いはバンジョー・タンバリン・ドラムがメインで、ギターメーカーとしての頭角はまだ表していない。
1895年、創始者の死去とシニアの引き継ぎ。
フレデリック・グレッチ死去。39歳だった。が、フレッド・グレッチ・シニアが事業を引き継ぐ。グレッチの歴史はまだまだこれからである。
1905年、ジュニアの誕生。
フレッド・グレッチ・ジュニアが誕生する。
1942年、シニアの引退。戦争の影響を受ける。
フレッド・グレッチ・シニアが経営を退く。息子であるフレッド・グレッチ・ジュニアとウィリアム・ビル・グレッチが引き継ぐが、その直後にグレッチ・ジュニアは海軍に奉仕するため経営を離れる。また軍需の影響で楽器の生産を一時休止する。
1946年、生産再開。
楽器の生産を再開。
1948年、ビル・グレッチの死去。
ウィリアム・ビル・グレッチ死去。
1952年、グレッチ・シニアの死去。
フレッド・グレッチ・シニア死去。
1955年、シグネチャーモデルのリリース。
6120 チェット・アトキンスモデルの販売開始。同年はその他のチェット・アトキンスモデルやホワイトファルコンなども登場した、会社として大きな転機を迎えた年だ。
当時はギブソンのレスポールがヒットしていた。
グレッチはギブソンに対抗意識剥き出しで、達人チェット・アトキンスと契約しシグネチャーモデルを多数リリースしたのである。「グレッチの機種の多くが、実はチェットアトキンスのシグネチャーモデルである」というのは覚えておくとよいだろう。
トップギタリストと契約しその看板で商売するとは、両社とも上手くやったものである。
1957年、フィルタートロンの発表とカントリージェントルマンの発売。
1957年のNAMM Showでフィルタートロンが発表される。同年に登場したカントリージェントルマンにはフィルタートロンが搭載されていた。
それまでのグレッチはディ・アルモンド社のダイナソニックを搭載していた。要はエレキギターの心臓部であるピックアップが外注だったのである。
グレッチにとってフィルタートロンは記念すべき自社製ピックアップだ。以降に登場したハイロートロンやスーパートロンはフィルタートロンの派生。
1958年、アニバーサリー、テネシアンの発売。
アニバーサリーとテネシアンには当初フィルタートロンが搭載されていた。これらの機種には後にハイロートロンに切り替わる。
またこの年、元々ダイナソニックを搭載していた機種が順次フィルタートロンに置き換わった。自社製品の開発に成功して浮かれていたのだろう。
1967年、ボールドウィン社へ売却。
フレッド・グレッチ・ジュニアがグレッチ社をボールドウィン社に売却する。自身の引退に合わせて売却したそうだが、それ以前から売上が低迷していた。ボールドウィン社もピアノやオルガンの売上が芳しくなかったそうだから、双方共に生き残りをかけた経営判断だったのだろう。
しかしながら、結果的にボールドウィン社への売却が致命傷となった。
この頃からフレデリック・グレッチの曾孫にあたるフレッド・グレッチ三世は買い戻しを決意していたらしい。
1973年、火災発生。
同年1月と10月、工場が燃える。一年に二回も燃えてしまっては大打撃である。事実このあたりから大きく品質を落とし、火災で型枠を失ってしまったからシェイプが変わってしまったのだ。だからこの辺のモデルは全然人気が無く、ヴィンテージグレッチとしては破格で入手できる。
1980年、生産中止。
生産中止。このあたりで滅んでもおかしくなかったが・・・。
1985年、会社がグレッチ一族の手に戻る。
創業者、フレデリック・グレッチの曾孫にあたるフレッド・グレッチ三世がグレッチの経営権を取得。グレッチ三世は、ひいおじいちゃんの会社を本当に買い戻してしまったのである。
登場人物ほぼ全員グレッチなのでややこしいが、グレッチ三世はフレデリック・グレッチの曾孫でありフレッド・グレッチ・ジュニアの甥である。
1989年、神田商会と代理店契約。
神田商会と契約。製造を日本の寺田楽器に移し、ようやく安定した供給が再開する。しかし2002年までのモデルはボディシェイプが変だったり、あまり出来は宜しくない。まあボールドウィンよりはマシだろう。
2002年、フェンダー傘下へ。
2002年末、フェンダー傘下に入る。
2003年、品質アップ。
この頃ボディシェイプの大幅な見直しを行う。ビンテージを採寸して作り直したそうだ。それに伴いシリアル先頭にGが付くようになる。シェイプが改善した事については以下の記事を参照して欲しい。
2021年、フェンダー直営へ。
2021年3月31日を以て、神田商会との代理店契約が終了する。以降は全てフェンダーミュージック株式会社が引き継ぐ。これが良いのか悪いのかは正直よく分からないが、神田商会は良い仕事をしていたと思う。日本人のシグネチャーモデルを多数リリースしたり、神田商会オンラインストアでグレッチを販売していたのだから。
今はメーカー直販サイトが無く、イシバシ楽器やクロサワ楽器のような正規取扱店で買うしかない。アフターパーツの入手性も落ちている。
ふざけんなフェンダー!パーツ買わせろよ!!!
まとめ
脈々と受け継がれる、フレデリック・グレッチの系譜。急逝やら戦争やら事業売却やら製造中止やら散々な目に遭いましたが、グレッチ一族によって会社は存続しています。
今は日本製として安定した品質と供給が保たれており、フェンダーという巨大資本の傘下に入ったこともありしばらくは大丈夫でしょう。しかしあのギブソンが破産したり、戦争が始まったり。何が起こるか分からない世の中です。
それでも、グレッチ一族や我々にグレッチ愛があれば不滅でしょう。
というわけで皆さん、グレッチ買いましょう。安いモデルもあるよ。
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