というよりBIRDが凄かった。
私がROSSOと出会ったのは中学2年の頃、学校をサボってスペースシャワーTVばかり見ていた時の事だ。

その頃の実家はケーブルテレビを契約していたので、テレビの死地である大分でも文化的な生活が送れていたのである。
イントロリフから引き込まれ、チバユウスケの声にノックアウトされた。照井利幸の刺青にビビった。MASATOのドラムのあまりの速さに面食らった。
当時、シャロンはラジオ局のリクエストで人気だったらしい。親の運転する車の中で流れてきて、スペシャで映る旅に釘付けになっていた。2002年の当時は動画サイトなんて存在しないので、スペシャに映ったものを目に焼き付ける必要があったのである。
私は画面の隅っこに表示された「ROSSO」の文字をメモってレンタル屋に行った。当時自分のお金でCDを買うという発想は無かったのだ。何故かラ行に無かったが、店員に聞くとどこからか持ってきてくれた。多分Rの行にあったのだろう。
当時の再生メディアとして一般的だったのはMDで、DAPが鎬を削りあってiPod miniが大流行するのはもう少し後の話。自宅にあったのはAIWAのMDコンポだった。私が持っている再生機もソニーのピンク色のMDプレーヤーだけだった。
自宅でMDに取り込んでいる最中に聴くのがレンタル後のルーティーンだ。うちのMDコンポは古く等倍ダビングしかできなかったのである。
AIWAのコンポで聴くROSSOのサウンドは異様にヘヴィで、惑星にエスカレーターが心地よかった。
MDにダビングしてからと言うものの、私は毎晩聴きながら寝ていた。もちろん惑星にエスカレーターからだ。もっとも、私は寝つきが良かったのでモンキー・ラブ・シックに到達するまでには眠っていたのだけれど。
当時私は音楽なんてまともに聴かない人間で、ロックなんてもっての外だった。ところROSSOを聴くまでTMGEもブランキーもほとんど知らなかったし。ROSSOからTMGEに入るというポロロッカが起きたのである。ROSSOとTMGEは活動期間が被っていたから、TMGE解散前に出会う事ができて本当によかったと思っている。t.A.T.u.がMステをドタキャンし、急遽TMGEがミッドナイト・クラクション・ベイビーを演奏したのは伝説であった。
しかしながら、結局私が音楽にのめり込むようになるまでにはもう少し先の話になる。ロックなんてろくすっぽ聴いたことのない男が、ROSSOのBIRDだけを死ぬほど聴くという死ぬほどアンバランスな状態で飛行を続けていたのである。
今ではTMGEも大好きだが、私にとってロックの初期衝動は間違いなくROSSOだ。
あの時スペシャでシャロンと出会っていなかったら、今頃どうなっていただろうか。
毎晩ROSSOを聴きながら眠るロックが好きではない少年は今、ちょっとロックを聴く大人になった。ありがとうチバユウスケ。あなたのしゃがれ声とかき鳴らすギターは、間違いなく私の人生を変えた。
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