グレッチというブランドは現在では安定した地位を確立しているが、その歴史は非常に波乱に満ちていた。
特に1950年代は、チェット・アトキンスが「カントリー・ジェントルマン」を手にしていたころが最盛期だった。チェットにとって、1959年モデルのカントリー・ジェントルマンが特に傑出しているとされている。その理由は明らかで、グレッチの特徴的なシミュレイテッドFホールやシンラインボディを採用しつつ、不要な機能を排除していたからだ。ダブルカッタウェイやミュート機構の追加は、後にセールス向上のために行われたもので、チェットの意向とは異なるそうだ。
「セールス向上のために不要な機能を追加する」というのは、どのメーカーも経験することだ。この時代は、各社が革新性をアピールするため、新モデルの発表や仕様変更を頻繁に行っていた。
チェット・アトキンス、エディ・コクラン、ジョージ・ハリスンの活躍によりグレッチは脚光を浴びていたが、その輝きは永遠には続かなかった。
時代はフェンダーやギブソンのソリッドボディギターへと移り、グレッチはその流れに乗ることが出来なかったのである。とはいえ参入が遅れたわけでなく、グレッチはレスポールが発売した翌年にはデュオジェットを市場に投入していた。しかし中身はチェンバード加工されており、他社のソリッドギターとはまた異なる毛色であった。
更なる課題は、1967年にボールドウィンがグレッチを買収したことにある。
この買収後、品質が落ちたというのはよく知られているが、具体的な証拠には基づいていない。ただし、この時期に疑問符がつくモデルが増えたのは事実である。ボールドウィンは時代に合わない新製品を次々に投入し、既存製品は型番とデザインを変更してモデルチェンジした。
結果、1967年以降のモデルは一般的に人気がなく、価値も下がっている。
故に狙い目であり、通常「ビンテージのグレッチ」としては考えられないような価格で入手できるのはメリットでもある。一風変わったデザインも、気にならない方にはむしろおすすめだ。
例として、6119テネシアンの変遷を見てみよう。
それまで幾度となくマイナーチェンジを重ねてきたテネシアンだが、一番左の1979年モデルは異質である。型番は7655へと変わり、テネシアンという名前でありながら、全く異なるギターとなってしまった。これをテネシアンと呼ぶのは無理がある。程なくしてギターの生産自体が終了するため、この奇妙なテネシアンは短命に終わった。まさしく、グレッチの徒花と呼ぶに相応しい。
ピアノとオルガンの製造・販売で成功を収めたボールドウィンだが、その手法がギター市場でも通用するとは限らなかったのである。
こうしてグレッチは大きく評判を落とし、1981年には全てのギターの生産を終了するに至った。
その後、1985年にグレッチ家によって買い戻され、生産拠点を日本へ移し、2002年末にはフェンダー傘下に入り、安定した体制のもとで現在に至る。
組織が混乱している時期には、その影響がギターのデザインにも反映されることがある。
今日に至っても、ボールドウィン期のモデルが復刻されることは、ほとんどない。
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