これがなかなか難しい問題で、悩む人も案外多い気がします。何せ私もその一人。
果たして自分はギターが弾けるのか?弾けない人よりは弾けるけど、アドリブとかできないし・・・なんてくだらない事で考え込むタチです。
なぜそんな事で悩むのかというと、弾けるの定義が無い・もしくは不明瞭だからです。
なので私の独自見解で、弾けるの基準を考えてみました。
「一曲弾けるかどうか」と定義してみる
それは「通して弾ける曲があるか?」というもの。その程度で弾けると言えるか!という批判が聞こえてきそうですが。
ただ私は、日本人は「できる」ということについて必要以上に厳しいんじゃないかと常々思っております。
ギターを持って、コードを鳴らして、コードをチェンジして、ギターソロを弾いて、少々のテクニックを使って4分程度の尺を最後まで弾く。
これって結構難しいことで、ほとんどの人ができないことだと思うんですよ。
それは「出来る、弾ける」と胸を張ってもいいんじゃないかと思うんですけどね。
ドラゴン桜によると
ドラゴン桜で読んだ話。日本人は英語が話せるのか?という問いです。
例えばアメリカ人に「日本語が話せますか?」と聞いたら!自信満々でYES!スシ!テンプラ!とか言うそうなんですよ。
そんな基準からすると、日本人は英語が話せるんだというある種のジョークです。
もちろんこれは漫画の話。脚色された部分もあるでしょうが、日本人が自身の実力について極端に自信が無い事と、アメリカ人は自信たっぷりだというのは何となく理解できます。
それはギターについても全く同じ事が言えます。
できるに対して厳しすぎる人たち
アメリカに限らず、いろんな国のギターの演奏動画を見ていると、どう見ても下手なものも多いんですよね。
下手でもお構いなし、どうだい弾けてるよって感じでアップされています。コメントもワオ!とっても上手だね!みたいな感じで概ねポジティブです。
対して、自分と他者にやたらと厳しいのが日本人。かなりのレベルでないと発表自体を嫌がったり、どう見てもレベルが高いものに対して講釈を垂れたりしがちです。
自分に厳しいというのは美徳かもしれませんが、やはりそれを他者に向けるべきではありません。趣味の範囲ですから、下手でも楽しければいいという寛容な精神こそが長続きの秘訣かと思います。
できるのハードルを上げすぎないこと
我々はアスリートやプロのバンドマンではありませんから、お遊びのレベルで語っても良いはずです。別に厳しい訓練に耐える必要はなく、楽しいと思える範囲でやればいいわけですから。
いつまで経っても「自分はギターが弾けない」なんて考え方だとギターそのものが嫌になってしまいます。
そこで繰り返しになりますが、やはり私が提案したいのは「一曲弾けるかどうか」。
一曲やり切ることができれば、少なくとも複数のコードを覚えていて、かつそれをチェンジする事ができるという事になりますから。
上手い下手はもっと後の話で、とりあえず出来るできないの問題を片付けてしまおうという提案です。
弾きたい曲を持つこと
ギターが全く弾けない人が陥りがちなのが、初心者向けの課題曲を探すという行為。「弾きたいかどうか」ではなく「弾けそうな曲」を先行して選んでしまっているんですね。
初心者向けだからといって、好きでもない曲を練習するのは苦痛です。
私も昔教則本を買って練習していたんですが、そこに載っていた曲はGLAYのBe Lovedでした。
まず私、GLAYが全然好きじゃないですしBe Lovedも全く聞いたことがありません。その時点でモチベーションはダダ下がり、一曲も弾けないまま教則本を閉じることになりました。
やはりモチベーション維持のため、どうしても弾きたい曲やバンドの中から弾けそうな曲を探していくのが良いかと思います。
当時買ったのはこういうやつです。これにはモンパチとBUMPとワンオクが収録されているようですね。
思うんですけど天体観測ってそんなに簡単ですかね?半音下げって時点で煩わしいと思うのですが。
弾ける曲がなかった
よくよく考えてみると、私も通しで弾ける曲など無いんですよね。
自分の打ち立てた基準によると、私は「ギターが弾けない人間」なのでした。これは悔しい。先輩からも「弾ける曲無いよね?」と言われたことがあります。ちくしょう。
というわけで久しぶりに曲練をしてみようかと思います。
私は相対性理論が大好きでメチャクチャ聞いてますので、スマトラ警備隊に挑戦してみましょう。
一曲弾けるようになるまでどのくらいかかるのか、自分でも興味があります。
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