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映画音楽評

セッションのフレッチャーはただのクズなのか?

遅ればせながら、Netflixでセッションを鑑賞した。非常に面白い作品であったが、視聴後には複雑な感情が残った。本当にこれで良かったのか、という疑問を持たざるを得ない。しかしこのモヤモヤさえも、制作陣の狙い通りかもしれない。

「フレッチャー クズ」という検索キーワードでここにたどり着いた方も多いであろう。その通り、彼はクズである。

しかし彼はただのクズではない。彼はパワハラによって才能を引き出すことに特化した、天才的なクズなのである。一般にはクズと評されるような常軌を逸した人間が、偉大な成果を生み出すことは珍しくない。スティーブ・ジョブズだってその一例である。

厳しい師弟関係を超えた、単純なハッピーエンドではない物語。この作品は、音楽を通じて展開される、天才的なクズ同士が殴り合う物語。果たして、その末に生まれたものは何だったのか。

あらすじ

ニーマンは名門音大の一年生。その時点でかなりの技術があると思われるが、初等部バンドの第二奏者に甘んじているようなレベルである。他のエリートと比較して、特に際立った存在ではない。

一方フレッチャーは、名の知れた鬼コーチ。

二人の出会いは偶然で、フレッチャーは夜遅くまで練習していたニーマンを目撃し、自分のバンドにスカウトした。ニーマンに多少の才覚を感じ取ったのか、あるいは単にその姿を気に入っただけなのかは定かでない。後に使い捨てるかのような言動もみられるから、ほとんど気まぐれと言って良いだろう。ニーマンはこの誘いに舞い上がるが、その喜びも束の間。

初めての合同練習で、違和感を覚えるニーマン。フレッチャーが練習室に一歩足を踏み入れるだけで、バンドメンバーにはピリついた空気が流れ、背筋が伸びる。フレッチャーは常軌を逸した厳しさで知られるスパルタ指導者だったのだ。

ごく僅かなテンポの狂いに激昂し、殴る、モノを投げるなどして、メンバーを恐怖で支配する。

彼は厳しい指導の中でこそ最高の演奏が生まれると信じている、いわば狂人なのである。

何故エリクソンではなくメッツを追い出したのか?

音程がズレている奴の存在を指摘するフレッチャー。実際に音がズレているのはエリクソンだったにも関わらず、メッツを犯人として仕立て上げ追い出した。何故か?

これはおそらく、単に気に入らないヤツだったからであろう。メッツは見た所、いかにも気が弱くダメそうなデブである。

「自分で音程がズレていると思うか?」

「・・・はい(泣)」

自白を強要され、バンドを追い出されることになったメッツ。これは典型的なパワハラ二択である。しかしこの択には正解がある。メッツの取るべき行動は、「うるせえ、ズレてねえよ!!!!」と食って掛かる事であった。実のところ、フレッチャーはガッツのある奴を求めているからだ。

だからニーマンがフレッチャーに口ごたえをすることに対し、懲罰は無い。

パワハラの天才

フレッチャーはパワハラの天才であり、あらゆる手段を使ってニーマンに追い込みをかける。

ニーマンも強烈にその影響を受け、自身の人間性を犠牲にするほどに変貌し、恋人を突き放すなど、自己中心的な行動を取る「立派なクズ」へと変貌する。

スパルタ教育とは、現代的な教育においては否定的に見られることが多い。しかし、特定の状況下においてはその価値を発揮する場合もある。それは、「生徒がスパルタ教育に向いていた場合」である。ニーマンはフレッチャーに食って掛かるほどの強さを見せるわけだから、実のところニーマンがスパルタ教育向きであったことを示唆している。

ニーマンの急激な変化はフレッチャーにとっても予想外であり、これは映画の中で重要な転機である。フレッチャーは、ニーマンの内に秘められた才能と情熱、そして狂気さえも引き出し、彼を理想の演奏家に育て上げることに成功していた。そう、途中までは。

不運な事故が重なった結果、ニーマンはとうとう限界を超えてしまった。公の場でフレッチャーに「Fuck you, Fletcher」といった暴言を浴びせ、殴りかかってしまったのである。

ニーマンの過失でもあるが、これはフレッチャー側の問題だ。要するに度重なるパワハラで、潰してしまったのである。その犠牲者は計り知れないから、指導者失格だ。

その事件によりニーマンは退学となり、完全に心が折れてしまった。その後警察から事情聴取を受け、行き過ぎた指導を密告するに至ったのである。

フレッチャーは何故、ニーマンが密告者であることを知っていたのか?

フレッチャーは当初、教え子のショーン・ケイシーが「事故で亡くなった」と周囲に説明していた。しかし実際には過度のパワハラによる自殺だった。ニーマンは事情聴取を通してその真実を知ることになるが、本来なら知り得ない情報である。

フレッチャーはこの点を利用し、巧みに揺さぶりをかけた。

ショーン・ケイシーの自殺について言及した際、ニーマンが特に驚く様子を見せなかったことから、密告者であることを確信したのだ。

フレッチャーの復讐

今度ライブをするから、是非参加してくれないか。君の知っている曲をやる。

フレッチャー

ニーマンが密告者であることを見抜いたフレッチャーは、罠を仕掛ける。

「密告したのはお前だな?」

本番直前、ニーマンに詰め寄るフレッチャー。サーッと血の気が引く。

始まったのは、ニーマンの全く知らない曲であった。初見の曲など叩けるはずもなく、醜態を晒してしまう。フレッチャーの目的は、壇上でニーマンに大恥をかかせることだったのだ。

拍手もまばらに、打ちひしがれるニーマン。

どこまで行っても、フレッチャーのほうが一枚上手だった。

ニーマンの逆襲

しかし再び、ニーマンの目には狂気の炎が宿る。

なんとニーマンはステージに戻り、勝手にドラムを叩き始めてしまうのである。他のバンドメンバーも合わせざるを得ず、なし崩し的に始まるのは『キャラバン』だ。

ニーマンの暴走

鬼気迫る演奏に、唖然とするニーマンの父。息子が豹変して壇上で火花を散らしていることに、ちょっと引いているのである。既にニーマンは、常人からは理解され難い天才性を獲得しているのである。

ビシッと決まった演奏。しかしニーマンは止めようとしない。「何をしてる」と詰め寄るフレッチャーに対し、「合図する」とニーマン。これはもう、完全に主従関係が逆転している。

結果、演奏は大成功。互いの求める、究極の音楽がここに生まれたのである。

ニーマンは逆境を跳ね除け、フレッチャーをも唸らせた。して、この映画はそこで終わってしまう。

それで本当に良かったのか?視聴者に委ねられたラスト

二人の天才的クズが壇上で火花を散らし、最後はニーマンが勝利した。この二人はとうとう。究極の演奏を生み出すに至ったのだ。そこに和解や友情などあるはずもなく、そこに存在したのは圧倒的な敵愾心のみであった。

フレッチャーの思惑通り、徹底した厳しさのなかで最高の音楽が生まれるというのは、皮肉なものである。

しかし二人とも学校を追われた身であり、今後の展望など全くない。二人は人生の全てを犠牲にして、最高の演奏を生み出した、というのが私の解釈である。

しかし書いた通り、この二人は狂人である。

その顛末は、凡庸な私たちに判断できるようなものではないだろう。

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